秘密保持命令申立て却下決定に対する抗告事件

解説  特許法第105条の4第1項に規定する秘密保持命令の規定は、民事保全手続にも適用されるか否かが争われた事件において、該規定が保全手続きには適用されないことを明らかにした秘密保持命令申立て却下決定に対する抗告事件
(知的財産高等裁判所・平成20年(ラ)第10002号 判決 平成20年7月7日、
原審は東京地裁平成20年(モ)第692号、同平成19年(ヨ)第22084号である。)
 
第1 事案の概要
(1)本件秘密保持命令申立事件は、シャープ株式会社が債権者、日本サムスン(株)を債務者とし、特許権の侵害行為の差止めを求めた特許権仮処分命令申立事件である。
 そして、その手続において、提出を予定している債務者準備書面(3)の記載は、債務者の保有する「営業秘密」に該当すると主張し、債権者代理人の弁護士等5名を相手方として、特許法第105条の4第1項に基づいて該情報につき秘密保持命令を申立てた。
(2)原審の東京地裁は、平成20年4月14日、本件特許権仮処分申立事件のような民事保全手続には、特段の事情のない限り、特許法第105条の4第1項に規定する秘密保持命令の規定の適用はないとして、債務者の申立を却下したので、これを不服として抗告したものである。

第2 原審決定
 営業秘密の保護を強化すると共に、営業秘密の訴訟手続への顕出を容易化するという秘密保持命令の趣旨から、民事保全法1条に規定する「民事保全」には、特段の事情がない限り、特許法第105条の4第1項の「特許権又は専用実施権の侵害に係る訴訟」に該当しないとして、申立を却下した。

第3 争点
 本件の特許権仮処分命令申立事件において、秘密保持命令を発することの可否が争点となった。即ち、特許法第105条の4第1項に規定する秘密保持命令の規定は、民事保全手続にも適用されるか否か。

抗告人の主張
@ 秘密保持命令の趣旨は、本案訴訟の提起を受けた被告のみならず、仮処分の申立てを受けた債務者にも等しく妥当するべきである。
A 原決定は、秘密保持命令を認めなければ著しく不合理な結果を招くことになるなど特段の事情が認められる場合は、民事保全であっても特許法第105条の4第1項に規定する特許権等侵害訴訟に該当する旨判示しつつ、本件においては特段の事情は認められない旨説示するが、該営業秘密は、最先端の技術であり多額の投資の結果得られたものであるから、「特段の事情」を要求する原決定の規範を前提としても、営業秘密としての保護は肯定されるべきである。

第4 本件の決定
 本件抗告を却下する。

第5 裁判所の判断
(1)秘密保持命令の可否
 ところで、該制度は、営業秘密を含む準備書面や証拠について、当該訴訟の追行目的以外に使用することや、訴訟関係者以外の者に開示することを禁じ、該秘密の訴訟手続経の顕出を容易にし、立証の容易化を図り審理の充実、秘密保護の実効性を確保するために、懲役刑(5年以下)又は罰金の刑事罰の制裁、さらに両罰規定を設けている。さらに、平成17年改正法で、重罰化が図られたものである。
(2)当裁判所も本件秘密保持命令申立ては却下すべきものと判断するが、その理由は、原決定の理由を改め、次に述べる通りである。
 そして、当裁判所は、以下に述べる理由により「特許権又は専用実施権の侵害に係る訴訟」とは、本案訴訟のみであって本件のような特許権仮処分事件は含まれないと解するから、本件仮処分手続においては秘密保持命令を発することは出来ないことになる。
  (ア)  上記法文は、「特許権又は専用実施権の侵害に係る訴訟」という表現を用いており、これに民事保全法という、民事訴訟とは別個の手続きで運営される仮処分手続を含むと解することは、法の名宛人である国民の立場からすると、相当の困難を伴うと考えられること。ちなみに、民事保全法の適用される民事保全手続におしては、訴訟のように公開の法廷で審理されることが必須の要件ではなく(任意的口頭弁論、民事保全法3条)、非公開で審理されるのが通例であり、また本件のような仮地位仮処分事件である重大な事案であっても、債務者審尋の手続をへることが絶対的な条件ではなく、仮処分申立ての目的を達成することができない特段の事情があるときは、債務者を審尋することなく仮処分命令を発することさえできること(23条4項)、仮処分における証拠方法及び心証の程度は疎明であって(13条9、裁判所は、即時に取り調べることができる証拠調べしかすることができないこと(7条、民訴法188条)、仮処分命令は暫定的な命令であることを前提に、裁判所は債権者に担保を立てさせて命令を発することを通例としていること等の、本案訴訟と異なる事情がある。
  (イ)  もし立法者において秘密保持命令の制度を本件のような仮処分手続にも適用があると考えたのであれば、秘密保持命令の規定が新設された平成16年法律第120号による特許法改正において、例えば抗告人も指摘する特許法168条の第2項が規定するように「訴えの提起又は仮差押命令若しくは仮処分命令の申立てがあった場合」等と、仮処分手続においても秘密保持命令を発することができるような規定を設けることが充分に可能であったと考えることができること。
  (ウ)  前記のとおり、秘密保持命令制度は、懲役刑を含む刑罰による抑止力をもって秘密保持の実効性を担保するものであるところ、特許権等侵害訴訟のみならず、民事保全手続にも特許法第105条の4の適用を肯定することは、これを否定した場合に比し処罰範囲の拡大を招来することになるところ、刑罰法規の謙抑性及び明確性の趣旨に鑑みれば、実質的に処罰範囲の拡大を招来する法解釈は差し控えるべきであること。
(3)原決定は、「特段の事情」があれば、仮処分手続においても、該命令を発しえる余地があるとするが、当裁判所は「特段の事情」の有無にかかわらず、仮処分手続においては秘密保持命令は発することはできないと解する。
(4)結語
 以上によれば、抗告人のした秘密保持命令の申立ては認められないことになる。従って、これを却下した原決定は、結論において相当であり、本抗告は理由がないから棄却することとして、主文のとおり決定する。

第6 考察
 本件は、特許法第105条の4第1項に規定する秘密保持命令の規定は、民事保全手続にも適用されるか否かが争われた事件である。これに関する判例がなかったので、初めての知財高裁の判断ではないかと思われる。該規定が保全手続きには適用されないことを明らかにした事例である。実務上の指針・参考となるので紹介した。
以上


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鈴木正次特許事務所

最終更新日 '09/04/27