損害賠償請求控訴事件(石風呂装置)

解説  実施権設定契約に於いて、当該特許権が無効となった場合に、設定の対価を返還しないとの特約をすることは有効であり、後日の紛争を未然に防止する有効な手段であることを示した事例
(知財高裁・平成20年(ネ)第10070号 判決言渡 平成21年1月28日)
 
第1 事案の概要
 被控訴人(原審原告。以下「原告」という。)は、控訴人(原審被告。以下「被告」という。)との間で、被告の有していた発明の名称「石風呂装置」の特許(以下「本件特許」という。)について専用実施権設定契約(以下「本件実施契約」という。)を締結し、被告に対し契約金300万円を支払ったが、その後、本件特許を無効とする審決が確定した。原告は、被告等に対して以下の通りの請求をした。

第2 原審の争点
(1)(主位的主張) @被告らが、共謀の上、本件特許に無効原因があることを知りながら、原告にそのことを告げずに有効であると誤信させ、本件発明の実施品でないものを実施品であると説明し、実施契約を締結させ、300万円を支払わせたことが共同不法行為を構成する、 A被告らが本件特許の無効を招き、原告が独占的に使用できなくさせたことが共同不法行為を構成する。
(2)(予備的主張)被告らが本件特許の無効を招来させて、本件特許に係る石風呂装置を独占的に使用できなくしたことは、債務不履行に当り、同額の損害賠償金の支払いを求め、
(3)(予備的主張)本件実施契約は錯誤により、又は公序良俗違反により、無効であると主張して、被告らに不当利得返還請求権に基づき、300万円の返還を請求した。

〔原判決〕
 原判決は、(1)不法行為に係る主張、及び(2)債務不履行に係る主張をいずれも排斥したが、(3)要素の錯誤に係る主張を認めて、不当利得金300万円及びこれに対する遅延損害金の支払いを命じた。
 被告らは、原判決を不服として本件控訴を提起したものである。

第3 裁判所の判断
 本判決は、原判決を取消し、 原告の請求を棄却した。
 当裁判所は、 原告の主張に係る (1)不法行為に基づく損害賠償請求、 (2)債務不履行に基づく損害賠償の請求、及び (3)要素の錯誤又は公序良俗による無効又は信義則違反による不当利得返還請求のいずれも排斥すべきものと判断する。
 本件実施契約の締結前の事実経緯に照らすならば、本件実施契約を締結するに当り、Z装置が本件発明の技術的範囲に含まれると原告が誤信した点は、要素の錯誤に当ると解すべきではなく、また、原告の認識した事実に何らかの点で誤りがあったとしても、それは重大な過失に基づくものというべきであるから、 原告は本件実施契約の無効を主張することができない。

〔理由〕
@ 本件実施契約は、営利を目的とする事業を遂行する当事者同士により締結されたものであり、当事者として、契約の内容である特許権がどのようなものであるかを検討することは、必要不可欠である。合理的な事業者としては、「発明の技術的範囲がどの程度広いものであるか」、「当該特許が将来無効とされる可能性がどの程度であるか」、「専用実施権が、自己の計画する事業において、どの程度貢献するか」等を総合的に検討、考慮するのは当然である。そして、「技術的範囲の広狭」及び「無効の可能性」については、特許公報、出願手続及び先行技術の状況を調査、検討することが必要になるが、自ら分析、評価することが困難であっても、専門家の意見を求める等により、評価をすることは可能であったというべきである。
A ところで、本件契約では対価の不返還の特約が付されてため、原告は、無効となったことを理由として、支払った金額の返還を求めることはできなかった。
B しかし、仮に、本件特許が無効とされる事情が発生しなかったとすれば、本件特許権は、その特許請求の範囲の記載の通りの技術的範囲及びその均等物に対する専有権を有していたのであり、その専有権は、原告の計画していた事業に於いて、有益であったと言うべきである。実際にも、原告は、本件実施契約に基づく再許諾権限に基づいて、湯本館に対して、通常実施権を付与したことにより、525万円の契約金の支払いを受けていた。
C そうとすると、技術的範囲についての原告の認識の誤りは、原告の計画していた事業の妨げになったとは、到底解することはできず、Z装置が本件発明の技術的範囲又はそれと均等の範囲に含まれていない限り、原告において本件実施契約を締結する意思表示することができなかったであろうとはまで認めることはできない。
D 以上の通りであって、原告に本件実施契約の対象たる特許権に係る発明の技術的範囲についての認識の誤りがあったからといって、その点が、本件実施契約についての「要素の錯誤」に該当するということはできない。また、仮に、何らかの錯誤があったとしても、それは、このような事業を遂行する過程で契約を締結する際に、当然に調査検討すべき事項を怠ったことによるものであって、重大な過失に基づく誤認であると言うべきである。

〔公序良俗違反又は信義則違反について〕
 原告が誤信した点について、被告らにおいて本件実施契約当初から悪意であったと認めるに足る証拠はなく、前記認定の本件の事実関係を併せ考慮すれば、本件実施契約の締結が公序良俗に違反するとは言えず、また、被告らにおいて本件不返還特約を援用することが信義則に反するということもできないから、この点に関する原告の主張も理由がない。

〔結論〕
 以上によれば、原告の被告らに対する請求は、いずれも理由がないからこれを棄却すべきであり、これと異なる原判決中被告ら敗訴部分を取り消して、原告の請求をいずれも却下する。


第4 考察
 本件は、専用実施権を設定した後に、当該特許権が無効となってしまった場合の設定対価の返還請求の可否についての判決である。判決では、仮に何らかの誤認があったとしても、それは、原告の重大な過失に基づく誤認であると判断されている。実施権設定契約に於いて、当該特許権が無効となった場合に、設定の対価を返還しないとの特約をすることは有効であり、後日の紛争を未然に防止する有効な手段であることを示していると言える。 本件は、知財高裁の判断であるから、今後の実務上の指針・参考となると思われるので紹介した。
以上


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鈴木正次特許事務所

最終更新日 '10/02/26