審決取消請求事件〔実施可能要件について〕(電界放出デバイス用炭素膜)

解説  (平成14年改正前の特許法36条4項に規定する)いわゆる実施可能要件に関する判決
(知財高裁・平成22年(行ケ)第10247号、 口頭弁論終結日 平成23年3月24日)
 
第1 事案の概要
 原告は、発明の名称を「電界放出デバイス用炭素膜」とする特許出願を平成10年7月29日に行った。
 平成18年に拒絶査定を受けたので、拒絶査定不服の審判を請求した。これに対し特許庁は、平成22年3月23日、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をした。原告はこれを不服として、本件審決取消訴訟を提起したものである。

第2 審決の認定
 本件審決の理由は、要するに、本願明細書の発明の詳細な説明は、当業者が本願発明1ないし3、本願発明6ないし8に係る発明を実施することができる程度に明確かつ十分に記載したものとは言えず、平成14年法律第24号による改正前の特許法(以下「法」という。)36条4項に規定するいわゆる実施可能要件を満たしていないから、特許を受けることができない、というものである。

第3 争点
(1)原告の主張
取消事由1:本願発明1の実施可能要件違反の認定の誤り。
取消事由2:本願発明2、3、6ないし8の実施可能要件違反の認定の誤り。
 従って、本件審決は取り消されるべきである、と主張した。

第4 裁判所の判断
判決 特許庁が不服2006−16055号事件についてした審決を取り消す。
A 取消事由1について
(1)実施可能要件の意義
 法36条4項は、「発明の詳細な説明は、‥‥‥その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることが出来る程度に明確かつ十分に記載しなければならない」と規定している(以下「実施可能要件」ということがある。)。
 特許制度は、発明を公開する代償として、一定期間発明者に当該発明の実施につき独占的な権利を付与するものであるから、明細書には、当該発明の技術内容を一般に開示する内容を記載しなければならない。法36条4項が上記のとおり規定する趣旨は、明細書の発明の詳細な説明に、当業者が容易にその実施をすることができる程度に発明の構成等が記載されていない場合には、発明が公開されていないことに帰し、発明者に対して特許法の規定する独占権を付与する前提を欠くことになるからであると解される。
 そして、本件のような物の発明における発明の実施とは、その物を生産、使用等をすることをいうから(特許法2条3項1号)、物の発明については、その物を製造する方法についての具体的な記載が必要であるが、そのような記載がなくても明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識に基づき当業者がその物の製造をすることができるのであれば、実施可能を満たすということができる。
(2)本願発明に係る炭素膜の製造方法について
@ 本願明細書には、このように、従来技術の炭素膜と本願発明の炭素膜とは、構造及び特性において十分に区別されているということができる。
A また、原告は法36条4項違反を指摘する拒絶理由通知に対応して、平成21年に、本件意見書を提出している。本意見書には、本願発明に係る3つの炭素膜を製造した際に用いられるパラメーターを記載したランシート及びそれをまとめた【表1】が添付されている。サンプルを製造した際、クリーン、シーディング、グロース、エッチングの各ステップにおけるフィラメント温度、基板温度、堆積圧力、ガス混合物が記載され、説明されている。また、炭素膜がグラファイト膜に近づくこと、ダイアモンド膜に近づく条件が文献を挙げて説明されている。
B 上記の記載と当業者の技術常識とによれば、本願発明の実施条件を予測することができる。
(小括)
 以上総合すれば、本願明細書には、本願発明1に係る炭素膜の製造方法が記載されているところ、記載された条件の中で、当業者が技術常識等を加味して、具体的な製造条件を決定すべきものであり、これにより本願発明1に係る炭素膜を製造することは可能であるというべきである。
(本審決の判断と裁判所の判断)
 審決は、発明の詳細な説明には、従来のダイアモンド膜を含む一般の「炭素膜」を製造する方法が記載されているに過ぎず、請求項1に記載したUVラマンバンドに関する特性を有する特定の炭素膜を実施するための製造方法が、明確かつ十分に記載されているものとは言えないし、本願発明1の「炭素膜」を得るための具体的な製造方法が、当業者の技術常識であったとも言えないと判断した。
 審決の理由@は、本願発明1で用いられた炭素膜の製造工程は、(ア)(イ)(エ)が必須の工程であるが、同(ウ)(オ)(カ)は選択的なものであること。
 これに対して判決は、製造工程のうち(エ)に時間の上限のみ言及されているからと言って、その他の工程が省略可能であるのであるから、(エ)のみが必須の製造工程であると解することは相当とはいえない。
 審決の理由Aは、本願発明の製造工程は、甲1、2刊行物に記載されたものと実質的に同じであること。
 判決は、本願発明とは膜構造や特性が異なるダイアモンド膜に関する甲2刊行物によって、UVラマンバンドを特定して、電界放出デバイス特性を向上させた本願発明の記載要件判断における、一般的なダイアモンド状炭素膜の製造方法に関する技術水準を認定すること自体、誤りである。よって、甲1刊行物及び甲2刊行物に基づき技術水準を認定した本件審決の判断は誤りである。
 審決の理由Bのパラメータの組み合わせが多く過度の試験を強いられること、に対しては、全てのパラメーターの開示が必要であることを述べたものではなく、炭素膜の形成に影響を及ぼす他のパラメーターの存在を指摘して、開示条件の記載が少ないことを指摘したものに過ぎないと解される。そして、被告が主張する如く無数の試行錯誤があるわけではなく、当業者にとって過度な試行錯誤とまではいえない。
(小括)
 以上のとおり、取消事由1は、理由がある。

B 取消事由2
 本願発明2及び3に係る炭素膜についても、本意見書において具体例が示されており、追加的に製造工程、条件が必要であるとは言えない(6ないし8は、略)。

第5 考察
 本件は、いわゆる実施可能要件に関する判決である。実務上、物の発明については、その製造方法を記載することが必須とされている。明細書の記載に際しては、明細書の説明箇所又は実施例の何れかに「物の製造方法」の項目を立てて、記載漏れ(不足)のないように習慣付ける注意が必要であるとも考える。今後、実務の参考になる部分があるかと思われるので紹介した。
以上


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鈴木正次特許事務所

最終更新日 '12/2/15