審決取消請求事件
(海生生物の付着防止方法およびそれに用いる付着防止剤)

解説  審決取消請求事件における進歩性の判断において、審査を受けている特許請求の範囲の請求項記載の発明によって発揮される有利な効果について、進歩性が肯定される方向に働く要素として検討された事例。
(知的財産高等裁判所 平成30年(行ケ)第10145号 審決取消請求事件 令和元年7月18日判決言渡)
 
第1 事案の概要

 被告らは、発明の名称を「海生生物の付着防止方法およびそれに用いる付着防止剤」とする特許第5879596号(本件特許)の特許権者である。原告は、本件特許について特許無効審判を請求した(無効2017−800145号)。特許庁は、平成30年9月11日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決(本件審決)をし、原告が本件審決の取消しを求める本件訴訟を提起した。

 本件審決の理由の要旨
 本件発明は、甲1(特公昭61−2439号公報)に記載された発明(甲1発明)及び甲2(特公平6−29163号公報)ないし7、9ないし18に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものとはいえず、甲1を主引用例とする進歩性欠如(特許法29条2項違反)の無効理由は理由がないというものである。

 本件発明と甲1発明
 本件審決が認定した本件発明1と甲1発明との一致点及び相違点は、以下のとおり。

(一致点)
「海水冷却系の海水中に、過酸化水素を添加して、海水冷却水系への海生生物の付着を防止する海生生物の付着防止方法」である点。

(相違点)
 本件発明は、海水中にさらに「二酸化塩素」を「この順もしくは逆順でまたは同時に添加して、前記二酸化塩素と過酸化水素とを海水中に共存させ」ているのに対して、甲1発明は、海水中にさらに「有効塩素発生剤」を「同時または交互に注入する」点。
 ここでは、原告が主張した取消事由1−1(甲1を主引用例とする本件発明の進歩性の判断の誤り)についての知財高裁の判断の部分のみを紹介する。


第2 判決

1 特許庁が無効2017−800145号事件について平成30年9月11日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。


第3 理由

 相違点の容易想到性の有無について
 甲1には、二酸化塩素に関する記載はなく、過酸化水素と二酸化塩素を組み合わせて使用することについての記載及び示唆はない。
 しかるところ、本件優先日当時、二酸化塩素は、塩素含有の化合物であるが、水への溶解度は塩素よりも高く、酸化力が塩素よりも強い上、塩素剤の添加により生成する有害なトリハロメタンが発生しない、海生生物の付着防止剤として知られていた。
 そして、甲2の記載事項によれば、甲2には、@甲2記載の水中生物付着防止方法は、塩素の代わりに、塩素の2.6倍の有効塩素量を有し、水溶性の高い二酸化塩素又は二酸化塩素発生剤を用いることにより、薬品使用量の減少を図り、ひいては、毒性のあるTHM(トリハロメタン)の生成を防止しつつ、海洋中などの水中における生物付着を防止すること、A二酸化塩素は、実施例1の結果(表2)が示すように、有効塩素発生剤である次亜塩素酸ナトリウムと比較し少量で効果があり、更にトリハロメタンの発生がなく、環境汚染がない、反応生成物は海水中に存在するイオンのみで構成され、残留毒性、蓄積毒性がないという効果を奏することの開示があることが認められる。
 加えて、甲3(特開平6−153759号公報)の記載事項によれば、甲3には、甲3記載の水路に付着する生物の付着防止又は除去方法は、低濃度の二酸化塩素水溶液を連続的に水路に注入することによって、冷却系水路の内壁に付着するムサキイガイ等の生物を効果的に付着防止し、又は除去することが可能であり、また、二酸化塩素は有害な有機塩素化合物を形成しないことから、海や河川を汚染することもないという効果を奏することの開示があることが認められる。
 前記によれば、甲1ないし3、5(特開平8−24870号公報)に接した当業者は、過酸化水素と有効塩素剤とを組み合わせて使用する甲1発明には、有効塩素剤の添加により有害なトリハロメタンが生成するという課題があることを認識し、この課題を解決するとともに、使用する薬剤の濃度を実質的に低下せしめることを目的として、甲1発明における有効塩素剤を、トリハロメタンを生成せず、有効塩素発生剤である次亜塩素酸ナトリウムよりも少量で付着抑制効果を備える海生生物の付着防止剤である甲2記載の二酸化塩素に置換することを試みる動機付けがあるものと認められるから、甲1及び甲2、3、5に基づいて、冷却用海水路の海水中に「二酸化塩素と過酸化水素とをこの順もしくは逆順でまたは同時に添加して、前記二酸化塩素と過酸化水素とを海水中に共存させる」構成(相違点に係る本件発明1の構成)を容易に想到することができたものと認められる。
 以上によれば、本件審決における相違点の容易想到性の判断には誤りがある。 本件発明の予期し得ない顕著な効果の有無
 表1から、濾過海水に二酸化塩素と過酸化水素を添加した場合の二酸化塩素の残留率は、過酸化水素及び二酸化塩素の濃度条件及び添加の順序に応じて広範囲に変化することを理解できるところ、本件発明の特許請求の範囲(請求項1)は、過酸化水素及び二酸化塩素の特定の濃度条件及び添加の順序を発明特定事項とするものではないから、上記の実施例1及び比較例1、実施例2及び比較例2の対比の結果は、本件発明1の特許請求の範囲全体の効果を示したものと認めることはできない。そうすると、試験例1の上記対比の結果から、本件発明1が顕著な効果を奏するものと認めることはできない。
 前記のとおり、海水に二酸化塩素と過酸化水素を添加した場合の二酸化塩素の残留率は、過酸化水素及び二酸化塩素の濃度条件及び添加の順序に応じて広範囲に変化し、この変化に伴って、スライムを主体とする汚れの付着防止効果も変化し得るものと理解できることからすると、表4の実施例1及び比較例4の対比の結果は、本件発明1の特許請求の範囲全体の効果を示したものと認めることはできない。
 以上によれば、本件発明は当業者が予想し得ない格別な効果を奏するとした本件審決の判断は、誤りである。
 以上によれば、本件発明は、甲1発明及び甲2ないし7、9ないし18に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、これを否定した本件審決の判断は誤りである。したがって、原告主張の取消事由1−1は理由がある。


第4 考察

 進歩性の判断において、審査を受けている特許請求の範囲の請求項記載の発明によって発揮される有利な効果は、進歩性が肯定される方向に働く要素として検討される。本判決では審決が行っていた効果の判断についても検討されている。
 実務の参考になるところがあると思われるので紹介した。

以上


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鈴木正次特許事務所

最終更新日 '20/05/10