審決取消請求事件(アレルギー性眼疾患を処置するためのドキセピン誘導体を含有する局所的眼科用処方物)

解説  審決取消請求事件の進歩性の判断において、顕著な効果の有無が判断された事例。
(知的財産高等裁判所 令和元年(行ケ)第10118号 審決取消請求事件
令和2年6月17日判決言渡)
 
第1 事案の概要

 本件は、特許無効審判請求に対する不成立審決の取消訴訟である。争点は、発明の進歩性(顕著な効果)の有無である。
 被告らは、特許第3068858号(発明の名称:アレルギー性眼疾患を処置するためのドキセピン誘導体を含有する局所的眼科用処方物)の特許権者である。本件特許は、米国で1995年(平成7年)6月6日(優先日)に行われた特許出願に基づく優先権を主張して我が国に出願され、2000年(平成12年)5月19日に設定登録された。
 原告が、2011年(平成23年)2月3日、本件特許に特許無効審判を請求した(無効2011−800018号)。
 特許庁が行った審決と、当該審決についての知的裁判高等裁判所での取消判決とが繰り返された後、被告らが無効2011−800018号において2016年(平成28年)2月1日付で訂正請求を行い、特許庁は同年12月1日に当該訂正を認めると共に審判請求を不成立とする審決(本件審決)をした。原告が翌年1月6日に本件審決の取り消しを求めて提訴した。
 知的財産高等裁判所は平成29年行ケ第10003号事件として審理し、2017年(平成29年)11月21日、本件各発明の効果は、当業者において、甲1発明及び甲4発明から容易に想到する本件各発明の構成を前提として、予測し難い顕著なものであるということはできないから、本件審決における本件各発明の効果に係る判断には誤りがあるとして、本件審決を取り消す旨の判決(差戻前判決)をした。
 被告らが、差戻前判決に対して、上告受理申立てを行ったところ、上告審は、差戻前判決が本件各発明の効果が予測できない顕著なものであることを否定して本件審決を取り消した点に、法令の解釈適用を誤った違法があるとして、差戻前判決を破棄し、知的財産高等裁判所に差し戻した。


第2 判決

1 (「特許庁が無効2011−800018号事件について平成28年12月1日にした審決を取り消す」という)原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。


第3 理由

 前訴判決は、本件優先日当時の技術常識に基づいて、甲1及び甲4に接した当業者は、甲1記載のアレルギー性結膜炎を抑制するためのKW−4679(本件化合物のシス異性体の塩酸塩)を含有する点眼剤をヒトにおけるアレルギー性眼疾患の点眼剤として適用することを試みる動機付けがあり、その適用を試みる際に、KW−4679が、ヒト結膜肥満細胞から産生・遊離されるヒスタミンなどに対する拮抗作用を有することを確認するとともに、ヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用を有することを確認する動機付けがあるというべきであるから、KW−4679についてヒト結膜の肥満細胞からのヒスタミンの遊離抑制作用(「ヒト結膜肥満細胞安定化」作用)を有することを確認し、「ヒト結膜肥満安定化剤」の用途に適用することを容易に想到することができたものと認められると判断した。
 上記のとおり、前訴判決は、本件各発明について、その発明の構成に至る動機付けがあると判断しているところ、発明の構成に至る動機付けがある場合であっても、優先日当時、当該発明の効果が、当該発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものである場合には、当該発明は、当業者が容易に発明をすることができたとは認められないから、前訴判決は、このような予測できない顕著な効果があるかどうかまで判断したものではなく、この点には、前訴判決の拘束力(行政事件訴訟法33条1項)は及ばないものと解される。
 そこで、本件各発明がこのような予測できない顕著な効果を有するかどうかについて判断する。

 本件発明1によって奏される効果
ア 本件発明1における本件化合物の効果として、ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出阻害率は、30μM〜2000μMの間で濃度依存的に上昇し、最大値92.6%となっており、この濃度の間では、クロモリンナトリウムやネドクロミルナトリウムと異なり、阻害率が最大値に達した用量(濃度)より高用量(濃度)にすると、阻害率がかえって低下するという現象が生じていないことが認められる。
 本件優先日当時、本件化合物について、ヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出阻害率が30〜2000μMまでの濃度範囲において濃度依存的に上昇し、最大で92.6%となり、この濃度の間では、阻害率が最大値に達した用量(濃度)より高用量(濃度)にすると、阻害率がかえって低下するという現象が生じないことが明らかであったことを認めることができる証拠はない。
 本件優先日当時、ケトチフェンがヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン遊離抑制率について30μM 〜2000μMの間で濃度依存的な効果を有するのか否かが明らかであったと認めることができる証拠はない。
 また、甲1において、 Ketotifen( ケトチフェン) 及び本件化合物と同様に、モルモットの結膜におけるヒスタミンの遊離抑制効果を有しないとされているChlorpheniramine(クロルフェニラミン)については、本件優先日当時、ヒト結膜肥満細胞の安定化効果を備えることが当業者に知られていたと認めることができる証拠はない。
 本件化合物やケトチフェンと同様に三環式骨格を有する抗アレルギー剤には、アンレキサノクス(甲1のAmelexanox)、ネドクロミルナトリウムが存在するが、三環式化合物という程度の共通性では、ヒト結膜肥満細胞に対する安定化効果につき、当業者が同種同程度の薬効を期待する根拠とはならない。
 したがって、甲1の記載に接した当業者が、ケトチフェンの効果から、本件化合物のヒト結膜肥満細胞に対する効果について、前記アのような効果を有することを予測することができたということはできない。
 甲20、34、37の各記載から、本件化合物のヒト結膜肥満細胞からのヒスタミン放出阻害について前記アのような効果を有することを予測することができたということはできない。

 以上によると、本件発明1の効果は、当該発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものであると認められるから、当業者が容易に発明をすることができたものと認めることはできない。


第4 考察

 審査を受けている発明によって奏される効果が進歩性判断にどのように用いられるかについて次のような記載が特許審査基準に存在している。
 「審査官は、請求項に係る発明と主引用発明との間の相違点に関し、技術分野の関連性、等の進歩性が否定される方向に働く要素に係る諸事情に基づき、副引用発明を適用したり、技術常識を考慮したりして、論理付けができるか否かを判断し、論理付けができると判断した場合は、有利な効果、等の進歩性が肯定される方向に働く要素に係る諸事情も含めて総合的に評価した上で論理付けができるか否かを判断し、論理付けができないと判断した場合は、審査官は、請求項に係る発明が進歩性を有していると判断する。」

審査基準には有利な効果として次の2つが例示されている。
(i)請求項に係る発明が、引用発明の有する効果とは異質な効果を有し、この効果が出願時の技術水準から当業者が予測することができたものではない場合、
(ii)請求項に係る発明が、引用発明の有する効果と同質の効果であるが、際だって優れた効果を有し、この効果が出願時の技術水準から当業者が予測することができたものではない場合

 拒絶理由に引用されている先行技術文献の記載に基づいて、審査を受けている発明の構成に至る動機付けがある場合であっても、進歩性判断の基準時である特許出願日当時、当該発明の効果が、当該発明の構成が奏するものとして当業者が予測することができた範囲の効果を超える顕著なものである場合には、当該発明は、当業者が容易に発明をすることができたとは認められず、進歩性の存在が認められ特許成立するという判断である。
 実務の参考になるところがあると思われるので紹介した。

以上


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鈴木正次特許事務所

最終更新日 '21/11/10