審決取消請求事件(塗装機器および塗装方法)

解説 解説 審決取消請求事件の進歩性の判断において、阻害要因の存在が進歩性が肯定される方向に働く要素に係る諸事情の一つとして検討された事例
(知的財産高等裁判所 令和4年(行ケ)第10100号 審決取消請求事件
令和5年8月24日判決言渡)
 
第1 事案の概要

 被告は、発明の名称を「塗装機器および塗装方法」とする特許第5976320号(本件特許)の特許権者である。原告は、本件特許について、特許法29条2項違反(進歩性欠如)等を理由として、特許無効審判(無効2021-800046号事件)を請求した。特許庁は、被告が行った訂正請求を認めた上で本件特許の請求項5などに係る発明についての「本件審判の請求は、成り立たない、等」を内容とする審決(本件審決)を下し、原告が「米国特許出願公開第2007/0062383号明細書記載の発明(甲1発明)を主引用例とする進歩性の判断に誤りがある」等の取消事由を主張して審決取り消し訴訟に臨んだものである。
 ここでは、訂正後の請求項5(本件発明5)に係る発明(塗装装置に係る発明)について進歩性の存在を認めた特許庁及び知財高裁の判断部分のみを紹介する。


第2 判決

1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。


第3 理由

<本件審決>
イ 特許請求の範囲の各請求項を通じて、以下の共通する構成(発明特定事項)が定められている(設定時の請求項1がこれに相当する。)。
 「塗装剤を塗布する塗布機器を有し、塗料で車両部品を塗装する塗装機器であって、
 前記塗布機器が、少なくとも1つの塗装剤ノズルから前記塗装剤を吐出するプリントヘッドであり、
 前記プリントヘッドが、ノズル列に配置された塗装剤ノズルを有し、
 それぞれのノズル列がいくつかの塗装剤ノズルを含み、
 前記塗装剤ノズルの全てが前記車両部品に同一の塗装剤を塗布し得るように、さまざまな前記ノズル列の前記塗装剤ノズルが、塗布される前記塗装剤が供給される塗装剤供給ラインに一緒に接続され、
 前記プリントヘッドが搭載される多軸ハンドを有する多軸ロボットによって前記プリントヘッドが位置決めされ、
 前記プリントヘッドが、少なくとも1m2/分の面積塗装性能を発揮するように構成され(る、)
 ことを特徴とする塗装機器」
ウ 上記イの共通の構成に加え、請求項5ではキャビンの空気からオーバースプレーを除去する空気フィルターについての構成(発明特定事項)が付加されている。

<本件審決の理由の要旨>
ア 本件発明5と甲1機器発明(甲1に記載されていると本件審決が認定した物の発明)を対比すると、「塗装剤ノズル」に関し、本件発明5においては、「前記塗装剤ノズルの全てが前記車両部品に同一の塗装剤を塗布し得るように、さまざまな前記ノズル列の前記塗装剤ノズルが、塗布される前記塗装剤が供給される塗装剤供給ラインに一緒に接続され」と特定されているのに対し、甲1機器発明においては、「異なる色」のものと特定されるものであって、上記の本件発明のようには特定されていない(相違点A)。
 そして、甲1機器発明は、「異なる色のインクジェットプリントヘッド」を備えるものであって、「あらゆる画像複雑さにかかわらずあらゆる画像または写真を印刷することが可能なデジタル技術とを使用して」、「1600万色による180dpiの印刷品質で、表面上でのデジタル画像の3次元自動印刷を可能にする」ことを目的とするものである。
 そうすると、甲1機器発明における「インクジェットプリントヘッド」の全てが同一の塗装剤を塗布し得るように塗装剤供給源に一緒に接続されると、その目的を果たすことができなくなる。
 よって、甲1機器発明において、本件発明5の発明特定事項を採用することには阻害要因があるといえ、当業者が容易に想到し得たものであるとはいえない。

<本件判決>
甲1発明の認定の誤りと一致点及び相違点の認定の誤り
ア 甲1機器発明に係る審決の認定について
 甲1の明細書の【0043】、【0068】、【0072】及び【0215】では、プリントアセンブリが、異なる色のインクを使用するいくつかのプリントヘッドを備えた少なくとも1つの印刷ブロックを備えることが開示されている。その上、甲1発明の課題は、本件審決が認定したとおり、「あらゆる画像複雑さにかかわらずあらゆる画像または写真を印刷することが可能なデジタル技術とを使用して」、「1600万色による180dpiの印刷品質で、表面上でのデジタル画像の3次元自動印刷を可能にする」ことであると認められるところ、この課題を解決するためには、「異なる色のインクジェットプリンタヘッド14」が必須である。
 よって、審決が甲1機器発明について「(同一の色ではなく)異なる色のインクジェットプリントヘッド14を備えた少なくとも1つの印刷ブロック18を備えるプリントアセンブリ13と」と認定した点に誤りはない。
イ 原告主張の主たる認定誤りについて
 原告は、甲1発明を「異なる色または同一の色を吐出可能な」と認定すべきであると主張する(主たる認定誤り)。この点、確かに甲1のクレーム17では、色に関する具体的な言及はないが、甲1機器発明において「異なる色のインクジェットプリンタヘッド14」が必須であることは上記アのとおりである。
 原告は、インクは甲1機器発明の構成ではないとも主張するが、甲1の【0146】の記載及び Fig.10に図示されたインクドラム60等の構成から明らかなように、甲1は、インクドラム60というインク貯留部位が接続された後のインクジェットプリンタヘッド14を開示しており、甲1機器発明を認定するに当たり、インクを除外して判断すべき理由は見当たらない。
 また、原告が主張するように、甲1の Fig.10において、1つのインクドラム60から、1つのチューブ、1つのポンプ61、1つのフィルタ62、1つのヘッドリザーバ63を経て、4つのインクジェットプリントヘッド14へとインク(塗料)が供給される構成が図示されていることが認められる。しかし、証拠(乙1、2)及び弁論の全趣旨によれば、インクジェットプリンタの技術分野では、複数のインク貯蔵部を1つにまとめて配置し、複数のプリントヘッドを1つにまとめて配置し、さらに、インクをインク貯蔵部からプリントヘッドへと供給する供給ラインを1つに束ねて配置するという周知技術が存在していたこと、同技術分野では、図面、特に概略構成図では、紙面の大きさや図の概略化の都合から同じ又は類似の構成が複数存在する場合にその1つのみを図示 することが慣習的に行われていたことが認められる。そうすると、上記のような甲1のFig.10の図示を踏まえても、1つのインクドラム60から4つのインクジェットプリントヘッド14へと同じ色のインク(塗料)が供給される構成を開示しているとはいえない。
 さらに、原告は、甲1の明細書の【0049】、【0215】及びクレーム30に「白色」という同一色の色のインクだけで下塗り層を表面11に塗布することが示唆されていることを指摘するが、当該明細書の記載においては、白色の下塗り層を表面に施す手段が何であるかは特定されていない。証拠(乙3、4)及び弁論の全趣旨によれば、インクジェット印刷の分野では、インクジェットプリンタによるインクジェット印刷の前の下塗りは当該インクジェットプリンタとは別の下塗り塗布装置により行われることが周知であることも認められる。
 以上により、原告の上記主張は、甲1発明が「同一の色」を吐出可能なインクジェットプリントヘッドを含むと理解すべき根拠となるものではなく、採用できない。
 上記での認定説示を踏まえると、甲1発明において、相違点に係る本件発明の発明特定事項を採用することには阻害要因があるといえ、本件発明は、甲1発明又は他の証拠に記載された事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものとはいえないから、特許法29条2項の要件を欠くものではない。


第4 考察

 特許審査基準では、阻害要因(例:副引用発明が主引用発明に適用されると、主引用発明がその目的に反するものとなるような場合等))の存在を、進歩性が肯定される方向に働く要素に係る諸事情の一つとして検討することになっている。
 実務の参考になるところがあると思われるので紹介した。

以上


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鈴木正次特許事務所

最終更新日 '24/10/07