審決取消訴訟における新たな補助資料の提出

   審決取消訴訟において、引用例記載の技術内容を明らかにするため補助的資料として、新たな証拠(書証)提出が認められた事例。(東京高裁平成8年(行ケ)第33号判決、平成9年6月10日言渡)
 
1.事件の経緯
 原告は、昭和56年8月28日に名称「摩擦用ライニング」とする発明(以下「本願発明」という。)を出願し、特許出願公告されたが、特許異議の申立てがあり、平成5年3月11日に拒絶査定がなされたので、査定不服の審判を請求したが、平成7年9月28日「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされた。そこで原告(本願発明の出願人)は、審決を不服としてが審決取消訴訟を東京高裁に提訴した事件である。

2.本願発明の要旨
 (請求項1)ガラス繊維及び/又は石綿繊維よりなる無機質繊維を、5〜30重量%、初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成するアクリル系及び/又はモダクリル系繊維を、5〜40重量%、………を含むことを特徴とする摩擦用ライニングである(請求項2は省略)。

3.審決の判断
 請求人は、本願発明が外気中で使用されるのに対し、引用例記載のものは油中で使用され、用途において相違する別個のものであると主張した。

 審決は、本願発明は外気中で使用されるものであるとの限定がなされていないので、主張は認められないとした。

 また、請求人は、引用例にはオーロンとダイネルが「初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する」という性状を有することが記載されておらず、かつ、そのような合成有機繊維を使用すれば外気中の厳しい条件下でも使用し得る摩擦用ライニングが得られることは示唆すらされていないと主張した。

 審決は、引用例記載の繊維は、本願発明のアクリル系繊維及びモダクリル系繊維とは繊維を形成しているポリマー化学構造に差異があるとは認められないから、引用例記載のオーロンとダイネルも本願発明が要旨とするアクリル系繊維とモダクリル系繊維が使用時に出現する「初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する」と同じ性状を有するものと解され、発明の要旨はライニングに含有するアクリル系繊維及びモダクリル系繊維が有する単なる性状の限定にすぎないと認められる。従って、本願第1、2発明は、引用例記載の発明であるから、特許法第29条1項3号の規定に該当し、特許を受けることができないとの審決をした。


4.裁判所の判断
 原告は、本願発明の摩擦用ライニングは、外気中で使用されるのに対し、引用例は油中で使用されるものである相違があるにも拘らず、相違点を看過していると主張したが、判決は本願発明は外気中で使用されるものであるとの限定がなされていないので、発明の要旨に基づかない主張であって、相違点の看過はなく、主張は失当であるとした。

 原告は、引用例にはオーロンとダイネルが「初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する」という性状を有することが記載されておらず、かつ、そのような合成有機繊維を使用すれば外気中の厳しい条件下でも使用し得る摩擦用ライニングが得られることは示唆すらされていないと主張したが、判決は引用例記載の繊維は、当業者であれば、その技術常識に照らし、初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより使用の加熱条件下で保護殻を形成するものと当然に理解し得るものであるとした。

 また、判決は本願発明の要旨が、「初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する」という性状を有するという事項は、ライニングに含有するアクリル系繊維及びモダクリル系繊維が有する単なる性状の限定にすぎないと認められるので、審決の判断に誤りはない。
更に、被告(特許庁長官)は、本訴において新たに乙第1乃至第5号証刊行物を援用するが、この点について、原告は、乙第1乃至第5号証刊行物は引用例とは全く無関係の独立したものであるから、これを援用して審決の正当性を維持することは新たな引用例を追加するものに他ならないので許されないと主張した。

 これについては、特許法第29条1項3号に規定する「刊行物に記載された発明」における刊行物に発明が記載されているということは、出願当時の技術水準に基いて当業者が当該刊行物(引用例)をみた場合において、その刊行物に容易に発明を実施し得る程度に技術事項が記載されていることを意味するものであり、引用例記載の技術内容を明らかにするための補助的資料として、審判手続において示されていない上記技術水準に関する資料を書証として提出することは、当該審決取消訴訟の審理範囲に含まれることであって、これが許されないとする法的根拠は存しないところ、前記乙第1乃至第5号証刊行物は上記の立証のために提出されたことが明らかであるから、原告の主張は理由がない。従って、本願発明の新規性を否定した審決には、原告の主張する誤りはない。
 依って、審決の取消しを求める原告の請求は失当であるからこれを棄却する。


5.考察
 審決取消訴訟において、引用例記載の技術内容を明らかにするための補助的資料として、被告(特許庁長官)が審判手続において示されていない新たな書証を提出することが認められた事例である。以下に各証拠の記載内容の概要を記す。

 乙第1証:アクリル系ポリマーの熱分解技術で、融点は略320℃と推定される。
 乙第2証:高分子物質は、温度を上げると急激に軟化し、2次転移点、融点が317℃である。
 乙第3証:アクリル系繊維のオーロン、モダクリルは「初期可溶融性」を有する。
 乙第4証:オーロンは、200℃の熱処理でピリジン環を生成する。
 乙第5証:ポリアクリロニトリル系繊維は加熱するとき約200℃迄は熱分解を起こさないが、225℃で粘着し、250〜325℃で軟化するが、最後は連続した環状構造になる。

 乙第1?第5号証により、アクリロニトリル重合体及び塩化ビニルーアクリロニトリル共重合体が初期可溶融性と架橋結合性を有すること、オーロン及びモダクリル系繊維であるダイネルが、加熱条件下においては何れも保護殻を形成することが記載され、引用文献記載のオーロンとダイネルは「初期可溶融性であるが、架橋結合性であり、それにより、使用の加熱条件下で保護殻を形成する」という性状を有する本願出願前の技術水準が明らかになる。

 要するに引用例記載の技術内容を明らかにするための補助的資料ならば許され、新たな引用例の追加は許されないとの判断であって、本判決はどのような内容の場合に補助資料として認められるか、一例(判断基準)を示したものと言うことができる。


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鈴木正次特許事務所